ニチレイ・レディス
Nichirei Ladies
本戦6日目 1990/9/29(土)
戻る トップへ
この日は、たぶん初めてニチレイ・レディスの試合を見に行った時だと思います。
ニチレイっていうと有明ってイメージなんですが、写真を見るとインドアのようです。
最初は雨降ったのかな?とも思いましたが、観客席などを見ると有明では無さそうですね。
どこで試合やったんでしょう?
今となっては全く思い出せません(笑)
開催時期は9月末だったようで、サーフェスはインドアカーペットのようです。
(これは某サイトで確認。)
この年は1月に東レ、4月にジャパンオープン、そして9月にニチレイというスケジュールでした。
この後、2002年まで3大会体制が続きます。
途中で大阪や札幌での開催も有りましたけどね。
ニチレイはこの年が初めての開催だったみたいですね。
さあ、試合に行きましょう。
◆Mary Joe Fernandez (USA)[4] def. Manuela Maleeva-Fragniere (SUI)[5] 4-6 7-5 6-4
これは因縁深い試合ですねー。
メアリージョーの試合内容以外も含む、展開力が存分に発揮された試合でしょう。
写真を見ても、それを窺うことが出来ます。
途中でマニュエラが主審のところに居るのは、メアリージョーがバスルームブレイクを取った時でしょうね。
たぶん「まだ帰ってこないの?」って聞いてるんだと思います。
そして遅れてメアリージョーが帰ってきます。
そもそも、バスルームブレイクを取るタイミングが良いんだと思います。
この試合のどこで取ったかは覚えてませんが、マニュエラの調子を狂わすタイミングだったことは間違い有りません。
それから、プレッシャーをかけるのも上手かったです。
相手が嫌がるタイミングでネットを取ったり、ドロップショットを打ったりしてましたね。
メアリージョーは、こういうあの手この手が上手かったですが、それだけで勝てるほど甘くは無いでしょう。
彼女は相手をコートの外に追い出すショットが多かったように思います。
フォアの逆クロスやバックのアングルショットなどですね。
つまり、1本のショットの威力だけでなく、その後の展開でポイントを取るパターンでしょう。
彼女は若い頃は怪我が多い選手だったと思います。
その頃、医者にテニスをするには筋力が弱すぎるって言われたそうです。
だから、パワー以外で勝負する必要が有ったんでしょう。
それから、学校(大学かな?)に通いながらツアーを周ってた時期も有りました。
特に数学が好きだったとか。
これがテニスに役に立ってたのは間違いないでしょう。
本人もそういうことを言ってたように思うし。
そういう色んな要素が絡まって、稀代まれに見る策士が生まれたんでしょうね。
策士という言い方はどうかって気もしますが(笑)
これは悪い意味で言ってるんじゃ有りませんよ。
メアリージョーは好きな選手のひとりだしね。
対するマニュエラですが、彼女も特長の有る選手でしたね。
哀愁漂う表情と笑った時の可愛さとのコントラストで、日本では大人気でした。
80年代中盤辺りは、そういう選手は他にも多かったようですね。
(カーリン・バセットやリサ・ボンダーなど。)
でも、俺がテニスを見始めた時は、トップ選手では彼女だけになってました。
プレイスタイルは、若い頃はクリスのコピーと言われた時期も有ったようですね。
確かに両手で3角形を作った感じのバックハンドなどは似てたと思います。
クリスと違ったのは、彼女は上位陣にほとんど勝てなかったという印象が有ります。
まー、彼女より上位だと、シュテフィ、マルチナ、ガビーなど錚々たる面子なので仕方ないとも言えますが。
GSでも長くベスト8より先に進めませんでした。
そこで必ず優勝候補、または新進気鋭の選手などに当たってしまう印象でした。
それでも常に上位に進出してました。
取りこぼしは少ない選手だったと思います。
しかし、彼女にも時代の波が押し寄せてきます。
90年代中盤に入ると取りこぼしも多くなってきます。
今までほとんどなかった初戦敗退も多くなってきたと思います。
当時のランキングは今と違ってアヴェレージ制だったので、これは大きくランキングに響きます。
1回の初戦負けで、その前週に優勝したとしても、その価値が半分になってしまうんです。
あ、価値というのは、あくまでランキング上ってことですよ。
つまり、優勝して200ポイント稼いだとします。
翌週に1回戦負けすると1ポイントになり、それが割られる為、201/2大会で100.5ポイントになってしまいます。
今だと上位17大会の合計なので、多く大会に出場すれば挽回することが出来ます。
観客からすれば、1大会だけ見れば昔のランキングのほうが良いでしょうね。
どの試合でも絶対に負けるわけにいかないので、どの選手も必死になると思います。
今だと、悪く言えば捨て試合をすることが出来るので、そこまで必死にならなくても挽回できますからね。
でも、1年全体を見れば今のほうが良いでしょうね。
今の方が、選手の大会数が昔よりも多くなってます。
ということは、色んな大会にたくさんの選手が出場するってことでしょう。
日本に来てくれる選手も、昔のランキングだったらかなり少なくなってたと思います。
でも、昔のほうが上位選手が来てくれてた印象も有りますね。
これは東レの印象ですけど。
昔のトップは、シュテフィにしろマルチナにしろ、早いコートが好きな選手が多かったせいでしょうかね。
話を戻して。
マニュエラはランキングを徐々に下げて行き、TOP10から落ちてる時も多くなります。
だいたい、8位〜12位ぐらいを行ったり来たりしてた感じかな?
もう10年も経ってるので、詳しくは覚えてませんけどね。
しかし、引退する前々年の92年のUSオープンで初のベスト4に進出!
SF進出は覚えてましたが、誰と対戦したのか覚えてないので記録を調べてみました。
この時はシード選手と当たらずにQF進出。
そこで妹のマギーと当たって6−3、5−3のところでマギーのリタイヤで勝ってますね。
何となく映像を思い出しました。
試合を放送したかは覚えてませんが、最後の場面だけは放送したように思います。
マニュエラが心配そうにマギーに寄り添う場面を見たような?
いや、これは違う場面でカテリーナとだっけ?
ちょっと混乱してきました(笑)
この時のマギーは2回戦で第3シードのマルチナをフルセットで破り、その後もポー、チャンダと実力者を破ってます。
既にビッグネームキラーぶりを発揮してますね。
でも、GSでSF進出したとは言え、ランキングは相変わらず10位前後を行ったり来たりしてたはずです。
そんな中でマニュエラは引退を発表します。
正確には、あと1年で引退するってことだったかな?
いや、半年だったかな?
その後はまたしてもパッとしなく、下位選手に早いラウンドで負けることも多かったと思います。
そして、とても印象深いのが93年のUSオープンです。
この年も前年に続いてSFに進出しました。
この辺りでは引退を発表してふっ切れたのか、成績も良くなってきてますね。
1回戦では当たると危険な29位のラリサ・サブチェンコ・ネイランドに6−3、6−3。
2回戦は60位のシャウン・スタフォードに7−6(4)、6−0。
3回戦はシード間近の19位のサビーネ・ハックに6−4、6−3。
4回戦は第4シードで5位のコンチータに1−6、6−0、6−2。
QFでは昇り調子の18位、我らが伊達ックに7−5、7−5で勝ってSF進出しました。
伊達ック戦はWOWOWで放送したのでよく覚えてます。
マニュエラは前のラウンドのコンチータ戦で左手の小指を骨折!
骨折した状態での試合だったと思います。
左手とは言え、両手バックハンドのマニュエラにはキツかったでしょうね。
そんな状態でしたが、ミスを極力押さえ、我慢しながらラリーしてたのを覚えてます。
伊達ックが焦ってミスを重ねるっていう展開だったかな?
次のSFでは、第一シードのシュテフィ相手に1STセットを6−4でUP!
しかし、そこでちから尽きたのでしょう。
その後は1−6、0−6で敗退します。
でも、マニュエラと言えば、この大会を思う浮かぶほど印象深い大会でした。
その後のチューリヒでもB.シュルツ、ナターシャ、マルチナなどを全てストレートで破って優勝!
翌年の全豪もQFまで進出し、東レもSFまで進出し、好調を維持します。
引退を決意すると好調になる選手が多いですが、マニュエラもそうでしたね。
そして彼女はラストの地を日本に選んでくれました。
それほど日本で愛されたってことを彼女も感じてたんでしょう。
その大阪での試合で優勝して有終の美を飾りました。
最後の大会でツアー優勝した選手って居るんでしょうか?
ちょっと記憶に無いですね。
あ、これって何回かに分けて書いてるんですが、そのせいか凄く長くなってしまいました(笑)
試合のほうは、マニュエラが先行しながらもメアリージョーの様々な作戦(?)で逆転負けを喫した試合でした。
試合後のマニュエラのインタビューも、詳しい内容まではあまり覚えてませんが、かなり衝撃的なものでした。
「彼女(メアリージョー)のプレイはフェアはない。」って発言でした。
そして、「プロらしくないということか?」という質問に「とてもプロらしい。」と答えたようです。
(他から引用。Mさんありがとうございます。)
ホントはあんなにズルイ選手はいないって言いたかったんでしょうねー。
でも、そこは大人(プロ)ですね。
ストレートには言ってませんから。
そんな展開でメアリジョーが決勝に進出しました。
◇待ちくたびれて主審に詰め寄るマニュエラ。
という写真だと思います。
たぶん、ですけどね(笑)
◇悠々とバスルームブレイクから帰ってくるメアリージョー。
という写真だと思います。
こちらも、たぶんですけどね(笑)
◇これは試合直後かな?
今日もやったわ!って感じのメアリージョーと、呆然として敗戦を受け入れられないマニュエラでしょうか。
どちらもかなり想像入ってますけど(笑)
◆Amy Frazier (USA)[8] def. Katerina Maleeva (BUL)[3] 7-5 6-4
こちらはもうひとつのSFです。
エイミーが競いながらもストレートでカテリーナに勝ってます。
エイミーはガンガン打つタイプなので、カテリーナはマニュエラみたく呆然とすることは無かったでしょうね(笑)
マニュエラ、カテリーナの二人ともSFで敗れたので、姉妹対決は無くなってしまいました。
当時のマレーバ姉妹は、末っ子のマギーも含めて対戦することが結構有りました。
最初はだいたい年上が勝ってたと思いますが、少しづつ妹が勝つことも有るようになったように思います。
ランキングでは既に妹のカテリーナが上になってます。
シードもカテリーナのほうが上ですからね。
マニュエラは優勝して現役を退きましたが、カテリーナはいつの間にかって感じでしたね。
ランキングが徐々に下がっていって、その内に引退の報道がされたように思います。
まー、大抵の選手はそうですよね。
というか、時代が下がれば下がるほど、その傾向が強くなってると思います。
これは女子テニスが毎年のように進化してるのと、層も厚くなってきたってことでしょう。
これは常々思ってるんですが、トップを独走する選手が現れると、その選手に勝とうとして全体のレベルが上がります。
俺が見てきた中では、まずはシュテフィです。
88年、89年当たりは誰も勝てない感じだったのが、少しづつ競った試合が増えてくようになります。
強打するという意味ではモニカもそうですね。
当時はあそこまでハードヒットする選手は彼女ぐらいでしたから。
そしてヴィーナス、セリーナですね。
彼女達の登場でますますアスリート化していき、そうじゃない選手は生き残れないようになってる感じです。
これは選手からしたらとても大変でしょう。
今まで強打で勝ってきた選手はそれが通用しなくなり、展開力で勝ってきた選手もその前に打ち込まれてしまうってことですから。
常に前進しないと、現状維持も出来ないって凄くキツイはずです。
また話が逸れてますね(笑)
試合のほうは、たぶん強打の応酬だったことでしょう。
エイミーはフラット系でガンガン行くタイプですが、カテリーナもかなりガンガン行くタイプだったように思います。
俺の中では、マレーバ3姉妹の中で一番の強打者ってイメージです。
しかしながら、インドアの早いコートではエイミーが有利だったということでしょう。
エイミーがカテリーナを破って決勝進出しました。
◆Mary Joe Fernandez/Robin White (USA/USA)[2] def. 木戸脇真也/Peanut Louie-Harper (JPN/USA) 6-2 6-1
これはスコアを見ると一方的ですね。
実際の試合はどうだったんでしょう?
試合展開は全く覚えてませんねー。
メアリージョーだけならともかく、サーブ&ボレーヤーのロビンが相手では真也ちゃんとピーナッツルーイも大変だったでしょう。
ストレートでメアリージョー/ロビンが決勝進出しました。
◆Gigi Fernandez/Martina Navratilova (USA/USA)[1] def. Katerina Maleeva/Eva Pfaff (BUL/GER) 6-2 6-0
こちらもかなり一方的なスコアですね。
ジジとマルチナ相手では仕方ないかな。
相手のエバ・パフという選手は名前に特長が有るので覚えてます。
プファフと表記してるのも有ったかな?
ジジですが、彼女についてはボレーがとても印象に残ってます。
これはいつだったかなー?
確か有明での試合だったと思うので、ニチレイかトヨプリですね。
いや、東レだったかな?
相手にジナがいたのは何となく覚えてるんですが、ジジのパートナーやジナのパートナーは覚えてませんねー。
相手がジナだったのも確かでは無いんですけどね。
その辺は曖昧なのですが、コートエンドの前のほうの席で見た時が有りました。
その時のジジのボレーを見て鳥肌が立ったのを今でも覚えてます。
ボールがバウンドしてからホントに弾まないんですよ。
相手の膝より下にしか弾まない感じでした。
今でも誰のボレーが凄いと思う?って聞かれたらジジって答えますね。
そう言うと、だいたい相手からは「え?」って言われますけど(笑)
相手としては、エドバーグ、ラフター、ヘンマン、マルチナ、ヤナなどの答えを期待してるんでしょう。
でも、あのボレーは忘れられません。
ボレー単体だけではジジが一番ですね。
これは生で見たってのも大きいと思います。
テレビで見ても、きっとそこまでは印象に残ってないでしょう。
この日も、そのボレーが炸裂したのかな?
マルチナ/ジジがストレート勝ちで決勝に進出しました。
◇カテリーナ&パフ組は撮ってませんでした。
そして試合終了です。
◇4人仲良く退場です。
当時ってこういう光景が多かったように思います。
今は負けたほうはサッサと帰っちゃいますよね。
テニス雑誌にクリスの連載が有るんですが、当時は決勝戦の前に対戦相手と練習したりしたそうです。
しかもシングルスの決勝戦の相手とです。
食事とかもしたのかな?
練習相手はもう残ってないし、そういう時代だったんでしょうね。
今では信じられませんが。
この日はこんなところです。
前日も見に行ってれば良かったです。
この日の対戦は下記です。
Quarterfinals
Manuela Maleeva-Fragniere (SUI) [5] def. Martina Navratilova (USA) [1] 7-5 4-6 6-3
Mary Joe Fernandez (USA) [4] def. Helena Sukova (CZE) [7] 6-3 6-4
Katerina Maleeva (BUL) [3] def. Jennifer Capriati (USA) [6] 7-6(4) 3-6 7-6(3)
Amy Frazier (USA) [8] def. Monica Seles (USA) [2] 5-7 7-5 6-2
3試合がフルセットです。
しかも負けた相手がビッグネームばかりです。
全員GS決勝進出者ですよね。
ジェニファーはかなり後になりますけどね。
マニュエラがマルチナにどういうふうに勝ったのか?
メアリジョーが早いインドアで強力サーブ&ボレーヤーのヘレナにどう勝ったのか?
カテリーナが新進気鋭のジェニファーにファイナルタイブレイクで勝った試合はどうだったのか?
そして、ジェニファー以上のセンセーショナルな登場だったモニカにエイミーがどう勝ったのか?
興味が尽きない対戦ばかりです。
この時に見に行ってれば、ジェニファーを見れたんですよね。
今考えればとても惜しいことしてます。
翌日も見に行ってます。
写真を見ながら思い出すのが楽しみです。
戻る
トップへ